大仏で有名な神奈川県の鎌倉で、なんで紫芋?

いも吉館(イモヨシヤカタ)をご存じでない方は、どう考えても接点のない2つの要素に疑問を持たれたことと思います。

なぜ、芋の産地でもない神奈川県鎌倉の地で【紫いもソフトクリーム】が誕生したのか、、

いも吉ファンの方でもご存じない方も多いと思いますので、いも吉館の創業ストーリーを少し紹介させていただきます。

創業30年余りのさつまいも専門店の誕生

いも吉館の創業は昭和63年9月

創業者である吉開和雄は福岡県飯塚市出身で、
福岡から上京した当初は、自動車販売会社に勤めていました。

だが、彼の夢は社長になること。

脱サラして神奈川県藤沢市で湘南調味という調味料を販売する食品卸問屋を起業

会社設立後のある日、たまたまテレビで見た紫芋は出身地福岡では一般的なさつまいもでしたが関東出身の吉開の妻は見たこともないと言う。

吉開はこの紫芋をお菓子にして観光地で販売すれば売れるかも!とひらめいた。

芋ようかんが爆発的大ヒットに。

早速、一大生産地である鹿児島県に出向き、紫いもを仕入れて自宅で芋ようかんを作りました。

毎日自宅で芋ようかんを作っては鎌倉で販売していましたが、販売が伸びない時期もあり苦戦を強いられていました。

しかし、次第に口コミが評判を呼び自宅での製造だけでは追いつかず、
神奈川県寒川町に菓子製造工場を設立安定供給が出来るようになりました。

その後、スイートポテトやいもまんじゅう等、鎌倉での販売アイテムは増えていき、
お菓子以外にも後の鎌倉名物となる紫いもソフトクリーム紫芋コロッケなどの新商品も開発しました。


鎌倉から世界へ...

現在では日本国内向けのビジネスのみならず世界各国への食品輸出事業も展開しており、いも吉館の海外進出新規事業も構想しています。

いも吉館は今日の鎌倉での地位を築くと共に世界規模でのビジネスにも挑戦しています。